もくじ
【概要】
- 著者:佐渡島 庸平
- 発売日:2021年9月7日
- ページ数:240ページ
本の目次
- 第1章 観察力とは何か? 観察をめぐる旅への誘い
- 第2章 「仮説」を起点に観察サイクルを回せ 5つの具体的アクション
- 第3章 観察はいかに歪むか 認知バイアス
- 第4章 見えないものまで観察する 感情類型と関係性
- 第5章 あいまいのすすめ 正解を手放し判断を保留する
【結論(1番の訴求ポイント)】
意識的に「あいまい」な状態になる
本書の中で観察力を鍛える事は、ドミノの1枚目と言っている。観察力は全ての能力の最初になるという意味だ。この能力を鍛える事で、相対的に他の能力も鍛える事になると述べている。
そもそも観察力とは何か?
同じものを見ていて、その感想を聞いてみると、人によって全く違った答えになる事がある。特に絵画のような抽象的なものでその傾向が強い。これは観察力の違いによるものだ。観察力には価値観や認知バイアス(常識/偏見)などが影響しているとされている。価値観が全く同じ人はいない。常識も人それぞれで違う、それが違って見える原因の1つである。
だまし絵というのがある。これは見え方によって2パターンの絵に見える事で、違う方に見るためには脳のスイッチを切り替える必要があると言われている。しかし切り替わらない場合は本当に切り替わらない。それだけ思い込み(バイアス)による影響が強いという事だ。
「見る」という事は案外難しい。世の中には見えているようで実は見えていない事が多くある。しかし「見る」事が出来なければ、良質な情報を得る事が出来ない。良質な情報が得られなければ、物事のメリットもデメリットも分からないし、良い仮説や考えも浮かばない。そして相手がどんな人なのかも分からない。当然、失敗する事も増えてくるだろう。
このように「見る力」=「観察力」はドミノの1枚目なのである。本書はそれを見るための観察力の鍛え方について書かれた著書である。
【ポイント】
人は見たいものしか見ていない
「人は見たいものしか見ていない」
こう言われて、「確かにそうですね。」と言える人はどれくらいいるだろうか。多くの人は「そんな事はない」と言うと思う。しかし、人が何かを見る時は、常識や認知バイアスが必ず影響していると言われている。
「常識とは、あなたが18歳までに身に付けた偏見の塊である」
これはアインシュタインの言葉だ。どうだろうか?妙に納得したのは私だけではないはずだ。この言葉の通りだとすると、老害と言われる人達の説明もつく。
彼らは自分が18歳までの世界観で50年後の今を生きている。もちろんインターネットやパソコンなどといったものは無い。しかしそれで成立していた事実もある。今やインターネットだけに限らずスマホも必需品になりつつある。これらが彼らの人生で全く触れる機会が無かったかと言えば、そうではない。必ずインターネットやパソコンに触れる機会があったはずだ。それでも「見て」こなかったのだ。
なのでスマホが当たり前の今の価値観とは当然マッチしない。しかし彼らの中ではそれが正義なのだ。昔は人とリアルに繋がってて良かったとか、時代が間違ってるとさえ言い出す人もいる。これがタッチパネルの前でどうしたらいいか分からず、終いには逆ギレし出す人達の正体だ。
このように意識して見ないと、見えているけど見えていない状態になっていたりするので注意が必要だ。
観察を阻害するもの
著者は本書の中でこの観察を阻害するものとして、「認知バイアス」、「身体/感情」、「コンテクスト」の3つがあると言っている。認知バイアスは価値観や常識、身体/感情は自分の体調や喜怒哀楽、コンテクストは文脈とされている。これらを理解し、上手く使う事が観察力を鍛る方法であるとも言っている。
認知バイアスは言い替えると偏見とも言う事ができる。この偏見はいくつか傾向があり、有名なものだとハロー効果(権威性により信頼性が高まる事)やバンドワゴン効果(多くの人が支持しているものが正しいと思い込む事)などがある。これらは多くの種類があり、全てを避けるのは不可能だと言われている。
例えば、「医師が推薦する」といった健康食品のキャッチコピーがあるとする。これが、「肥満ニートが推薦する」だったらどうだろうか?逆に面白そうな気もするが、基本的には医師が推薦の方が信頼性があるだろう。これも医師という権威性を利用したハロー効果だ。他にも多くある。試しに「認知バイアス 種類」と検索かけてみて欲しい。もしくはChat GPTに聞いてみるものアリだ。多くの回答が出てくるだろう。
認知バイアスが避けられないのであれば、どうするか?
筆者はうまく付き合っていきましょうと言っている。知バイアスにはどんなものがあるのかを知る。知っていれば自分がそう思った時に気がつけるという訳だ。それほど認知バイアスは日常の中に入りこんでいるという裏返しでもある。しかし全てを知るのも現実的ではない。ではどうすればいいのだろうか。
「観察」は「問い」と「仮説」の無限ループ
観察力を鍛えるために必要な事、それは「観察・問い・仮説」の繰り返しだ。そして重要なのが一番最初の観察の質を上げる事だ。
ではどうやれば観察の質が上がるのか。それは、具体と抽象を繰り返す事だと言っている。
著書の中でフェルメールの牛乳を注ぐ女が出てくる。この絵を観察してみると、表情であったり光の当たり方で受け取る印象が違ってくる。そしてその背景をイメージしてみる事を経験する。
例えば、疲れた表情をしていると感じる人もいれば、これからご飯を食べる人の事を思い愛おしい表情と感じる人もいるだろう。これは個人で全然変わってくる。それが当たり前だ。これに正解は無い。そして、その印象からバックグラウンドをイメージしてみるのだ。
疲れた表情と感じた場合は、毎日がハードなのだろうか、もしかして1人で対応しているのか。しかし体格からするとハードワークをしているという風には見えない。となると毎日の繰り返しで飽きてしまっているのか。気分転換になる話し相手はいないのか。そうすると、それほど雰囲気が良い家庭ではないのかもしれない。それでもいるという事は、何かしらの断れない理由があっての事だろうか・・・といったように、どんどん妄想してみるイメージだ。
実はこれが具体から抽象の流れでもある。この具体と抽象を繰り返す事が、観察には重要な事になる。著者は、これを繰り返す事で観察の質が上がると言っている。観察によって得られた情報から問いを作り仮説を作るのだ。
見えないものを見るには感情と関係性に着目する
また著者は見えるものだけではなく、見えないものを見る力について、感情と関係性があると言っている。この2つは物体として存在しない。だから注意しないと見えない、もしくは見誤る。人は感情で行動する。物事を決定するにも感情が大き役割を占める。だから感情を観察する事で、人や社会を理解しようとしているとの事だ。
関係性については、人は他人との関係性で作られているというものだ。親と会っている時も自分、友達と会っている時も自分そのものだ。この関係性を観察する事で、今まで気が付かなかった事も見えるようになるのではと記載してあった。
これら2つは人間を観察するにあたって重要な要素だ。現代は複雑だ。性別も肉体的に男性女性だけでなく、いわゆるLGBTQがある。他にも多くあり、到底これらを全て理解するのは不可能だ。その複雑な社会の中で、決めつけで物事を見てしまうと本質が見えない。
著者は良い観察は「する」のではなく「いる」を見ると言っている。
【まとめ】
他の人はどんな観察をしているのか
本書は他にも、判断を保留する事の大切さや、「わかった」は思考停止ワードなど今までとは違った見方を提案している。歴史に名を残すような人物達はどんな見方をしているのか、それに興味がある人は本書を読んでみると、その片鱗を見る事が出来るかもしれない。
ここまで読んで興味が湧いた人や、違う世界を見てみたいと思っている人は、一読をお勧めする。