もくじ
【概要】
- 著者:しんめいP
- 発売日:2024年4月
- ページ数:352ページ
本の目次
インド編1章 無我 自分なんてない ブッダの哲学
2章 空 この世はフィクション 龍樹の哲学
中国編
3章 道 ありのままが最強 老子と荘子の哲学
4章 禅 言葉はいらねえ 達磨の哲学
日本編
5章 他力 ダメなやつほど救われる 親鸞の哲学
6章 密教 欲があってもよし 空海の哲学
あとがき
【結論(1番の訴求ポイント)】
東洋哲学は楽になるためにある
哲学者といえば、プラトン、アリストテレス、ソクラテス、カント、ニーチェなどが有名で、誰でも一度は名前を聞いた事があるだろう。
これらの人の出身はギリシアを中心とするヨーロッパが多く、実際、哲学者=古代ヨーロッパ人というイメージがあるかもしれない。
だが当然ながら東洋にも哲学者はいる。
日本では浄土真宗を作った親鸞、真言宗を作った空海などだ。もちろん日本だけじゃなく、3000年の歴史を持つ中国や、東洋哲学の大御所と言われるインドにもいる。
一見すると哲学とは小難しく理解が難しいというイメージがあるだろう。イデアだのロゴスだのパトスだの意味不明な単語が多くでてくるし、これだけで拒否反応を示す人も多いかもしれない。
もちろん東洋哲学も同じように小難しい面は持っている。だが本書はこれら東洋哲学を分かりやすくかみ砕いて記載してある。
インドの仏陀や龍樹、中国の達磨や老子と孔子、日本の親鸞と空海。
これらの哲学を全部理解しようとすると長い年月が必要になるし、そんなのは専門家に任せればいい。僕ら一般人に必要なのは重要なエッセンスだけで十分だ。しかもエッセンスだけならそれほど時間はかからない。
東洋哲学がどんなものなのか、覗いていこう。ちなみにここから記載する文章は、あくまで個人的な解釈がゴリゴリに入ったものなので、本来の教えとは違うかもしれないのを承知で読んでもらえればと思う。
【ポイント】
インドの哲学者達
まずはインドの哲学者から。仏陀と龍樹だ。
実は仏陀と釈迦は似ている。似ているというか釈迦が仏陀になったというのが正しいらしい。仏陀は悟りを開いた者という意味で、釈迦は実在する人物だ。
実は釈迦はエリートだった。今でいうと王族みたいな感じで、何不自由なく暮らしていた。ほっておいても親の財産で遊んで暮らせたはずなのに、それがどういう訳か全てを捨てて出家して修行の道に入ってしまう。そして「無我」という境地に達する。
無我とは何か。
簡単に言うと世界は常に変わっている。その中で変わらない自分を作ろうとするから苦しみが生まれれる。という事らしい。
流れの早い川の中で、ずっと立って耐えようとするイメージかもしれない。常に変化しているという事は、当然自分にも当てはまる。1秒前とは違う。つまり1秒前の自分は自分じゃないのだ。
なるほど、全く分からない。ちょっと小難しくなってきた。
簡単に言おう。自分なんてないから。これが仏陀の哲学なのだ。
変化に合わせて生きていこうぜ。無理に留まろうとするから辛いんだよ。
こんな事を仏陀は言っているのかもしれない。
ちなみに龍樹については、「空」という概念を作った人だ。これは無我を発展させた考えなのだが、簡単に言うと、この世はフィクションだよって言っている。すべてのものはそれ単体で存在できないんだよ。原因と結果みたいなもんで、必ず対になるものがある。でも対になるものは、縁や考え方次第でメリットになったりデメリットになったりする。変わらないものは無いんだよって事で、無我の考えが入っているのが分かる。
この文章を読むより、本書を読んでもららった方がよっぽど分かりやすいので、是非読んでみてください。
中国の哲学者達
次に中国の哲学者を見ていこう。中国にも多くの哲学者がいるが、まずは達磨(達磨大師)だ。
実は達磨はインド人で、インドで修行中に師匠から中国で広めてこいと言われて中国に渡った人なのだが、禅を作った人でもある。
達磨の教えを簡単にいうと、言葉はいらないという事らしいのだが、これだけ言われても意味不明だ。
自分なんて自分が思い込んでいる人物像にすぎなくて、他人から見たら全然違うふうに見えていたりする。
どっちが本当なのか、、、どっちも本当なのだろう。
これを言葉で表すのは難しい。極端にいうと本当の自分なんてないのかもしれない。そんな自分に定義を付ける事で軋轢が生まれる。
そんなんじゃないんだよ、言葉を捨てる事で悟りに達するんだ。ありのままを見るんだ!っていう事を言っているようだ。
なるほど、全く分からない。
「考えるな、感じろ」っていう有名なフレーズに似てるかもって思ったら、本書でも同じ事が書かれていた。
あれ?もしかして少し理解できているのかも?
ちなみに達磨は9年も壁に向かって座り続けたという逸話が残っているらしい。それを見た中国の修行僧が、なんか分からないけど、凄そうだ!と思ったとかなんとか。
老子と孔子については本書を読むか、wikiでも見てみてください。
参考までに、インドの哲学は基本的に世の中はクソだという考えから来ているけど、中国は逆で世の中イイじゃん!という考えから来ているらしい。
根本的に違うって事だね。
日本の哲学者達
当然ながら日本にも哲学者はいた。本書では親鸞と空海を取り上げている。
この両名の名前は教科書にも載っているので、うっすらと覚えている人もいるかもしれない。
親鸞は浄土真宗、空海は真言宗を作った人だ。ちなみにこれらの大元は仏教になる。仏教の1宗派が浄土真宗であり、真言宗でもあるのだ。現代ではそれほどでもないかもしれないが、ひと昔前はお葬式の時に何宗とか気にしたものだ。今でも地方の田舎ではあるかもしれない。
親鸞の教えは、以下の通り。
凡人が悟りに達するなんて無理。でも信じる事はできる。全てを受け入れろ。そうすればダメな奴ほど救われる!
今でもどこかのセミナー会場で言われてそうなフレーズだ。
もっと分かりやすくすると、他力本願とも言える。ダメなヤツでも信じれば極楽に行けるんだ!
益々ダメなヤツに刺さりそうなフレーズだ。
一方の空海は、悟るのが面倒なんで、大日如来になりきろう。という考えを説いた人だ。
なりきれば何事も上手くいくんじゃない?的な感じで、最高の人になりきれば、当然最高になるじゃん?という事らしい。なりきる事で、自然と物事や考えのベースが変わり、結果として悟りに近づけるという事のようだが、まぁこれも意識高い系のビジネスマンに刺さりそうなフレーズでもある。
基本的に仏教は「欲」というものを排除しようとする傾向があるけど、空海の真言宗はこの欲を排除していない。この欲には性欲も含まれていて、当時のお坊さんは結婚する事はほぼ無かった。でも空海は結婚してしまう。欲を否定せずにその欲を求め続ける事で、結果的に皆ハッピーになるんじゃない?という考えが根底にあったらしい。
いずれにせよ、この考え方は当時の人にハマった。それゆえ信者が増えていく事になる。
両名とも共通しているのが、自分だけでどうにかしようとしていない事。
これが当時のダメ人間には痛いほど刺さったらしい。
【個人的補足】
東洋哲学=楽になるため
インド、中国、日本と東洋哲学の巨人達の教えを見てきた。
これらに共通するのは、楽になるためという事だ。
厳しい修行するのも悟りを開くため。悟りを開くと悩みも無くなる。悩みが無くなれば楽になる。
言い換えると悟りを開くためとも言える。
ただその道順は上記で見た通り、十人十色だ。
自分に合った哲学を取り入れてみるといい事が起きるかもしれない。