世界は贈与でできている

【概要】

  • 著者:近内 悠太
  • 発売日:2020年3月
  • ページ数:256ページ

本の目次

第1章 What Money Can’t Buy―「お金で買えないもの」の正体
第2章 ギブ&テイクの限界点
第3章 贈与が「呪い」になるとき
第4章 サンタクロースの正体
第5章 僕らは言語ゲームを生きている
第6章 「常識を疑え」を疑え
第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」
第8章 アンサング・ヒーローが支える日常
第9章 贈与のメッセンジャー

【結論(1番の訴求ポイント)】

資本主義の隙間を埋めるもの、それが贈与

まず最初に言っておくと、本書は哲学的な要素を含んだ書物であり、一部のIQが高い人を除いてサラッと読んだだけでは理解が難しい。そのため精読をお勧めする。

本書では、必要としているにもかかわらずお金で買うことができないものおよびその移動を「贈与」としている。

※お金で買えるものは交換になる。

例えば、子供からプレゼントされたキーホルダー。

これ自体は資本主義的には1,000円弱の価値しかない。なので誰でも1,000円を支払えば購入する事ができる。

※1,000円を払って購入する事は交換に該当する。

しかし他人(自分の子供)からプレゼントされるという過程を経る事で価値が一変する。子供からという付加価値が発生する。

親にとって子供からのプレゼントは大きな喜びだ。大切にしない人は少ないだろう。この付加価値はお金で買えないもので、唯一無二のものだ。

「子供からの」という付加価値を加えたキーホルダーは、お金では買えない。

つまり上記の定義で言うと、贈与という事になる。

言い換えると、商品は誰かから贈られた瞬間に特別な存在になり、贈与となる。他人か介在しないと贈与にはなり得ないとも言えるだろう。

そして、この贈与こそが資本主義の隙間を埋めるものであり、時にはお金以上の大きな意味を持つ事もある。

それを見ていこう。

【ポイント】

贈与は必ずプレヒストリーを持つ?

なぜ贈与が生まれたのか?交換じゃダメなのか。

その答えは、人が成長する過程にあると言っている。

人は生まれて一人で生きていけるようになるまで長い期間を必要とする。(他の野生動物と比較すると明らかに長い。馬は生まれてから数時間で立ち上がるし、人間に近いとされているチンパンジーですら、生後5年程度で自立し始める。)

それ故、生まれてすぐは親に守ってもらう必要がある。しかも10年以上という長い期間になる事もほとんどだ。

この時、親は子供に見返りを求めるだろうか?

答えは否である。

つまり人は生まれた時にすでに誰か(親)からの贈与をされているとも言える。問題は受け取っている側の本人が、それを贈与と気が付いていない点だが、これについては後述する。

その子供が成長して自分が親になった時に贈与されていた事に気が付く。ただそのお返しは親ではなく自分の子供に同じように贈与をする。これの繰り返えされていく。

これが贈与は受け取とる事なく開始する事は出来ない(プレヒストリーを持つ)理由だと筆者は述べている。

なんとなくは分かる。だが著者は贈与は繰り返されるもの(返礼)されると言っている。

受け取ったら嬉しいのは分かる。お返しをしたくなるのも分かる。

しかしなぜそうなのか、受け取って終わりじゃダメなのか。

そこが理解できなかった。もう少し精読する必要があるのかもしれない。

贈与は相手が気が付いた時に初めて表面化する

世の中には実に多くの贈与が溢れている。上記の親から子供への育児もそうだろう。

しかしこれらは実際に受け取っている時には、それが贈与とは感じない。後々自分が親になった時に初めて気が付く事が多い。

つまり贈与とは差出人は未来形で、受取側は過去完了形であるという事だ。

これが意味する事は何か?

未来形という事は相手に対して即座に見返りを求めていないという事だ。つまり現在進行形ではない。

本書の言葉を借りるなら、「贈与は届かないかもしれない、贈与は本質的に偶然で不合理なもの」となる。そう思える事が差出人には必要なのである。

コンビニに設置してある募金箱、献血なんかもその一種だろう。

これらは基本的に匿名だ。誰かが、知らない人に対して役に立つといいなという気持ちで行う。

もしかしたら届かないかもしれない。でもそれでもいい。

そして不幸にも災害が起きた時に寄付金を受け取る、交通事故で輸血が必要になった時に初めて贈与に気付いてもらえる。

また受け取る側にもある程度の知識がないと、それが贈与とは気が付かない事も多い。

それを本書では下記のように言っている。

「贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する」

贈与は時として呪いになる

贈与とは基本的に見返りを求めないものだ。見返りをを求めると交換になる可能性がある事は上記で話した通りだが、交換以上に厄介なケースもある。

それは贈与が呪いに変わる時だ。

贈与はその性質上、人と人を結びつける。これが使い方によってはマイナスに働く事もある。

人は何かをしてもらった時に、その負い目からお返しをしようとする。差出人が分からない場合などは、そのお礼を他の困っているまだ見ぬ他人に向ける。

これが贈与の繰り返しだ。

しかしこれを利用し、贈与を差し出す(ふりをする)事で、相手の思考をコントロールしようとする人もいる。

当人にはその意識が無いのかもしれない。だが結果としてこのようなケースになってしまっているのは多く見受けられる。

贈与は、それが贈与と知られてはいけない。知られた瞬間に相手へのお礼の念に縛られて呪いとなってしまうのだ。

本書の中で具体例として年賀状がある。

ちょっと知っている程度の人から年賀状が届いた。

それくらいの間柄なので、相手も特に返信は期待していないかもしれない。

だが受け取った側は、返事を書かないとスッキリしない。仮に返事を書かなくても、それはそれで変な感じは残る。

これが呪いの正体だ。

年賀状の他に義理チョコなども該当するだろう。

年賀状や義理チョコならまだいい。

しかし中にはこれを悪用して、先にプレゼントする事で大きな見返りを求めようとする人達もいるから注意が必要だ。

著者は計画的な贈与は偽善と記載していた。

【個人的補足】

やや小難しい内容

本書は哲学的な面を含むことから、抽象的に物事を考えられる力が多少なりとも必要だと感じた。言い換えるなら、読む人を選んでいるような本である。

本書の中には、上記以外に言語ゲーム(≒価値観)、アンサング・ヒーロー、アノマリー(変則性)といった言葉が出てくる。予備知識があれば、まだ理解しやすい面もあるだろう。ただ全くの予備知識が無い状態で読むと、1回読んだだけでは理解が難しい。なんとなく言っている事は分かるかと言った程度だろう。

だが、それでもいいと思っている。

世の中には贈与が溢れている事、自分が知らないうちにその贈与を受けっている状態である事。

これらが分かればいいのではないかと思う。

学校で勉強している人、職場で働いている人、今いる状況は過去に誰かが作ってくれたからあるのだ。

その環境を作るために多くの時間が必要だったのかもしれない。でも作った人はあなた個人のためにやった訳じゃない。誰かの役に立つといいなと思ってやっている。

誰が作ったかは分からない。でもその誰かがいたからこそ、今の自分があるのではないだろうか。

「当たり前じゃねぇからな、この状況!」

少し前の出来事ではあるが、あまりにも有名なので知っている人は知っているだろう。

あるお笑い芸人が不祥事を起こした相方に言った言葉だ。

経緯的には、不祥事によりテレビ露出が激減した中で、過去にレギュラーとして出演していた番組に出た時にかけられたものである。
まさにコレかなと思う。Youtubeで検索するとすぐ出てくるので、興味があれば検索してみると良い。

この考え方が出来れば、世の中の多くの贈与に気が付けるのではないかと思う。

贈与に気が付かつければ、今度は自分が贈与する側になれる。

これに気が付かないと、いつまでもクレクレ君で終わってしまう。

自分でもこのコメントを書いていてまとまりが無いなとは思いつつも、何かしら気が付いてもらえればいいかなと思う。

興味が湧いた人は、本書を読んで欲しい。

もっと気が付く事があるかなと思う。

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